山理解目標では、山岳地域の自然環境と、過去、現在、将来にわたるその変遷を、生物科学と地球科学の分野を軸に理解を深めることを目指す。また、現在の山岳地域の自然環境が晒されている、気候変動や生物多様性など多くの環境問題の解決、人間と自然の持続的な共生を目指す。
山理解目標に向けて、本年度、数多くの研究成果が得られた。その活動概要を以下に紹介する。
山理解目標の以下の研究成果はプレスリリースもなされ注目を集めた。
田中健太 准教授の研究室では、農業用ため池の土手は周辺の生育地と比べて希少植物が特に豊富な場所であることを明らかにし、希少植物の保護活動を地域ぐるみで行ってきました。このたび、田中准教授が起案した「農業用ため池の防災事業における堤体植生配慮の要望書」が日本生態学会自然保護専門委員会から農水省大臣、環境大臣、46都道府県知事(防災工事計画のない神奈川県が含まれない)に3/38付けで提出されました。この要望書には、山岳科学学位プログラムを修了した滝澤 一水 さんの修士論文などの成果が引用されており、当センターの研究・教育活動が政策提言に結びついています。この要望書提出が、これらのメディアで取り上げられました。
l 農林水産省での記者会見:日本農業新聞 2024/3/29
l 長野県庁での記者会見:信濃毎日新聞 2024/3/29
l 信毎ニュースをよんななニュースが再配信 2024/3/29
l 読売新聞(長野県版)農業用ため池防災工事「植生配慮を」 2024/4/6
森林遺伝育種学会によると、学術誌「森林遺伝育種」に掲載された菅平高原実験所・八ヶ岳演習林の津田吉晃(生命環境系 准教授)の解説論文PDFに、2023年の1年間で同誌第1位のアクセス数(1479件)がありました。そこで、同誌へのアクセスに大きく貢献したとして、発刊元である森林遺伝育種学会よりベストアクセス賞ゴールデンアクセス部門に表彰されました。本解説でも説明されているとおり、デモグラフィーは人口統計(学)を意味しますが、集団遺伝学・ゲノミクスなどでは広義に”集団動態”のような意味で使われています。
論文:津田吉晃(2021)森林遺伝育種のデータ解析方法(実践編 5)デモグラフィー推定. 森林遺伝育種 10 巻 3 号 p. 142-149 Doi: 10.32135/fgtb.10.3_14
筑波大学の菅平高原実験所構内で採集した土壌性ハナバチから新種の線虫を発見、記載しました。発生生物学、進化生物学などに使われるモデル線虫種に近縁で、ハナバチを特異的に利用し低酸素適応するなど特徴的な生理・生態的形質を持つことから、研究材料としての利用が期待されます。無脊椎動物の1グループである線虫類は種多様性が非常に高く、100万種が知られる昆虫と同等かそれ以上の種が存在すると考えられています。その中には、多くの有害種(寄生虫、農林業害虫)や有用種(生物防除資材、モデル生物)が含まれます。しかし、現状で命名されているのは3万種足らずであり、多様性の解明にはほど遠い状況にあります。このため、さまざまな環境から継続的な採集を続けていくことにより、新たな有用種が検出される可能性は非常に高いと言えます。本研究では、標高が高く寒冷地にある筑波大学山岳科学センター菅平高原実験所(長野県上田市)で線虫多様性調査を行い、土壌性の真社会性ハナバチであるアカガネコハナバチから継続的に検出される線虫種を確認しました。この線虫は、ゲノム進化や自己認識、環境に応じて体の構造を変える「発生学的可塑性」現象などの研究にモデル生物として用いられている雑食(細菌食、捕食)性線虫、Pristionchus 属に属する新種であると考えられました。このため、詳しい形態観察、分子系統解析を行い、Pristionchus seladoniae として記載しました。P. seladoniae は、他のPristionchus 属線虫で一般的に使われる大腸菌培地での増殖が安定しない、培養条件下では可塑性が発現しないという生理的特徴、土壌性ハナバチから継続的に検出されるという生態的特徴、clumping という低酸素適応種にみられる培地上での集合行動など、一般的な Pristionchus 属と異なる特徴を持っており、モデル種との比較研究材料(サテライトモデル)として、ゲノム生物学、生理学、環境適応などの分野で利用されることが期待されます。
タイトル:Pristionchus seladoniae n. sp. (Diplogastridae) isolated from a eusocial soil-dwelling bee, Halictus (Seladonia) aerarius, in Nagano, Japan.(長野県において真社会性・土壌性ハナバチから検出された新種線虫、Pristionchus seladoniae)
著者名:Natsumi Kanzaki, Yuta Fujimori, Taisuke Ekino, Yousuke Degawa
掲載誌:Nematology
掲載日:2024年5月10日
Doi: 10.1163/15685411-bja10326
ダケカンバは日本の高山やロシアの寒冷・多雪地に広く分布する樹木です。通常はゲノムを4セット持つ四倍体ですが、四国・紀伊半島の本種はゲノムを2セットしか持たない二倍体で、より祖先的なことが分かりました。厳しい環境に適応した本種の歴史を解く手がかりとなることが期待される成果です。通常の生物はゲノム(全遺伝情報)を2セット持っており、これを二倍体と呼びます。倍数体は通常より多くのゲノムを持つ生物のことで、ゲノムが増える倍数化は種の多様化の大きな駆動要因です。一般に倍数体はより大きな器官を形成するため、栽培植物(例えばコムギやカキなど)として多く利用されています。また、野生植物の倍数体は乾燥・寒冷条件の地域に多く分布する傾向にあり、倍数化の過程を追うことは、種が厳しい環境にどのように進出したのかを理解する鍵となると考えられます。ダケカンバ(カバノキ科カバノキ属)はゲノムを4セット持つ四倍体として知られ、日本列島・朝鮮半島・極東ロシアの寒冷・多雪地に広く分布する落葉樹です。日本では、1500m以上の高山に登れば必ずと言っていいほどその姿が見られ、日本や東アジアの山岳地の植生形成過程を語る上で欠かせない存在です。近年の研究でカバノキ属の系統関係が分かってきており、ダケカンバは2種類の二倍体の雑種が起源であることや、未確認の二倍体が近い系統に存在することが示唆されていました。本研究チームの先行研究から、南限地の紀伊半島に自生するダケカンバは、遺伝的に他集団と大きく異なることが分かっていました。今回、本研究チームは南限の自生地を包括的に調査し、四国の石鎚山と剣山、紀伊半島・釈迦ヶ岳の個体の倍数性と葉・種子の形態を調べました。その結果、これら南限地の個体は二倍体で、葉や種子の形態も本州の系統と区別できることが分かりました。これらの地域は日本列島に古くに渡ってきたと考えられる固有の植物群が多く分布します。ダケカンバの二倍体系統も祖先的な系統と考えられ、高山や寒冷環境に広く分布を広げた本種の歴史や、日本列島の山岳地の植生形成過程を理解する上で重要な手がかりとなることが期待されます。
タイトル:Cryptic diploid lineage of Betula ermanii at its southern boundary populations in Japan.(日本の分布南限地におけるダケカンバの二倍体系統)
著者名:Takaki Aihara, Kyoko Araki, Yoshihiko Tsumura
掲載誌:PLoS ONE
掲載日:2024年7月18日
Doi: 10.1371/journal.pone.0307023
筑波大学山岳科学センターの佐藤幸恵助教(生命環境系)と津村義彦教授(生命環境系)の研究グループが、半倍数体ハダニ近縁2種の山岳地域での二次的接触帯の存在と交雑状況に関する研究成果を発表しました。標高による棲み分けが見られ、半倍数体生物であるハダニ近縁2種を対象に、二次的接触帯の存在や、そこでの交雑、遺伝子浸透状況を調べました。その結果、静岡県から九州にかけた山岳地帯で広範な二次的接触帯の存在が示唆され、遺伝子浸透は極めて低いながらも、2種間の交雑が検出されました。
タイトル:Secondary contact zone and genetic introgression in closely related haplodiploid social spider mites(近縁の半倍数体ハダニにおける二次的接触帯と遺伝子浸透)
著者名:Shota Konaka*, Shun K. Hirota*, Yukie Sato*, Naoki Matsumoto, Yoshihisa Suyama, Yoshihiko Tsumura
*equally contributed
掲載誌:Heredity
公開日:2024年8月2日
Doi: 10.1038/s41437-024-00708-y
内田大貴 氏(株式会社 環境指標生物)、林成多 博士(ホシザキグリーン財団 ホシザキ野生生物研究所)と、菅平高原実験所の山川宇宙(生物科学専攻 博士後期3年)、熊瀬卓己(山岳科学学位プログラム 博士前期1年)、菅平高原実験所・八ヶ岳演習林の津田吉晃(生命環境系 准教授)の研究グループは、菅平高原実験所構内において長野県初記録となるホクトダルマガムシ Hydraena hokuto Hayashi et Iwata, 2023 を採集し、日本甲虫学会の和文誌「さやばね ニューシリーズ」で報告しました。ホクトダルマガムシは、林博士らによって2023年に新種記載された、大きさ約2 mmになるダルマガムシ科の水生昆虫です。今まで山梨県と石川県からのみ発見されていました。著者らは2024年4~5月に、長野県上田市菅平高原にある「筑波大学山岳科学センター菅平高原実験所」敷地内の人工池(図A)で水生昆虫や両生類を観察していた際に、正体不明のダルマガムシ科の一種を採集しました。この標本(図B)について、内田氏と林博士が形態精査を行ったところ、ホクトダルマガムシであることが判明しました。この成果は、長野県における本種の初めての確認事例となります。この人工池は標高1,320 mに位置し、普段は湿地のような状態になっています。積雪時には雪に埋まる一方で、融雪時期には水量が大幅に増し、ホクトダルマガムシも同時期に確認されました。今後は、1年を通して観察を実施し、本種の生息状況や生態をより詳細に把握することが望まれます
タイトル:長野県におけるホクトダルマガムシの初記録
著者名:内田 大貴、山川 宇宙、熊瀬 卓己、津田 吉晃、林 成多
雑誌名:さやばね ニューシリーズ 号数・ページ:第55号 46~47ページ
出版日:2024年9月30日
「昆虫発生学下巻」(ISBN978-4-563-07736-5、488ページ、培風館)が上梓され、「昆虫発生学全二巻」が完結しました。昆虫綱全30余目の胚発生を豊富な図とともに詳述した世界初の成書の完成です。監修は菅平高原実験所の前身の菅平高原実験センター長であった安藤裕、小林幸正、そして同実験所の町田龍一郎(生命環境系 客員研究員)です。また、内容は同実験所の藤田麻里(同 特任助教)等、菅平で研究を行ってきた多くの卒業生たちが執筆しています。日本は昆虫比較発生学分野で世界随一の拠点となっており、本書籍は昆虫発生学の画期的なスタンダード、貴重な資料として当該分野の今後の発展に大いに役立つことが期待されます。
75年前に報告されていた正体不明のイシノミを多数採集し、改めて分類学的検討を行いました。さらに、雄の外部生殖器の極度な特殊化が観察され、このイシノミは、昆虫類が「交尾」を獲得する進化プロセスの原初状態を示している可能性を示唆する、極めて特異なグループに属することが判明しました。昆虫類は全動物種の75%を占める最も繁栄した動物群です。その99%は翅(はね)を獲得した有翅昆虫類で、残りの1% は翅を獲得する段階には達していない原始的なグループの無翅昆虫類(カマアシムシ目、トビムシ目、コムシ目、イシノミ目、シミ目)です。無翅昆虫類の一群であるイシノミは、陸上に生える緑藻などを主食とし、日陰の湿った岩肌や樹皮に生息している体長15㎜ 程度の昆虫です。水域から陸域に上がってきた昆虫類の祖先は、同時期に陸上に進出した植物である藻類を餌としていたと考えられています。イシノミは当時の状況を今にとどめる原始的な昆虫で、昆虫類の祖先型をほうふつとさせる形態学的特徴を多数持っているなど、昆虫の進化を考える上でも非常に重要なグループです。75年あまり前、北海道厚岸町からHalomachilis属のイシノミが記載されました。しかし、記載は極めて不十分で、しかもこの属は日本に存在するはずのないものであるなど、再検討が強く望まれていました。今回、本種と同定できるイシノミを多数採集し、その正体を明らかにしました。その結果、本種は極東固有の数種が知られるのみのヤマトイシノミモドキ属であることが判明しました。さらに、詳細に検討したところ、このイシノミは、昆虫の陸上進出に不可欠であった配偶行動のイノベーションの理解につながる、驚くべき特徴を持っていることが確認できました。
タイトル:What are Halomachilis akkesiensis and Halomachilis kojimai described from Hokkaido, Japan? (Insecta: Archaeognatha: Machilidae)(北海道から記載されたHalomachilis akkesiensis と Halomachilis kojimaiとは一体なにものだ?(昆虫綱:イシノミ目、イシノミ科))
著者名:S. Mtow and R. Machida
掲載誌:Zootaxa
掲載日:2024年12月4日
Doi: 10.11646/zootaxa.5543.3.10
議論が続いている六脚類(広義の昆虫類)の初期分岐に関して、新たな系統仮説「カマアシムシ類-姉妹群仮説」が提出されました。本研究ではこの議論を詳細に検討し、この仮説が大きな誤謬の元にもたらされたことを明らかにし、従来から提案されている「欠尾類-有尾類仮説」の妥当性を主張しました。六脚類(広義の昆虫類)は全動物種の75%を占める巨大生物群ですが、その系統進化については100年以上の間、議論が続いており、進化初期に起こった初期分岐、すなわち、「カマアシムシ類」、「トビムシ類」、「コムシ類」、そしてこれら3群以外のすべての六脚類を含む「昆虫類(狭義)」の4群の系統関係さえコンセンサスが得られていませんでした。このような中、遺伝子の塩基配列などの膨大なデータセットに基づく客観的な分子系統解析が進められ、六脚類の初期分岐は「欠尾類(=カマアシムシ類+トビムシ類)+有尾類(=コムシ類+昆虫類)」(「欠尾類-有尾類仮説」)との理解が定説となりました。ところが、最近、これとは異なる「カマアシムシ類-姉妹群仮説」(「カマアシムシ類+[(トビムシ類+コムシ類)+昆虫類]」)が分子系統解析により提出され、大きく注目されました。しかしながら本研究では、この仮説のサポートとして用いられた塩基配列以外の情報を検証したところ、情報の理解の誤りや、不十分な調査により、間違った論理展開が行われていたことが分かりました。
タイトル:Embryology cannot establish the “Protura-sister”.(発生学は「カマアシムシ類-姉妹群仮説」を認めない)
著者名:R. Machida, M. Fukui, S. Tomizuka, Y. Ikeda, K. Sekiya, and M. Masumoto
掲載誌:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America
掲載日:2025年1月29日
Doi: 10.1073/pnas.2423813122
今年度、山理解目標分野では、上述のような成果が上がっており、山岳の基礎科学的側面の研究推進に大きな貢献を果たした。とりわけ昆虫学分野での研究活性が高く、複数の論文や著書の発表もなされ、それらがプレスリリースされて社会還元もなされており目覚ましい成果が際立っていた。特に、退職後に在籍されて本年度まで正規メンバーとして研究に携わらって来られた町田龍一郎客員研究員の研究成果が多い点は特筆に値する。これは、裏を返せば、多くの常勤の教員は大型予算獲得のための努力、組織運営のマネージメント用務など、多数の調整会議や諸々の雑用に追われ、著しく疲弊しており、山理解目標に相応しい研究成果を挙げるためのエフォートが大幅に不足していること、また業績が出てもそれをプレスリリースして社会還元する余裕も現実的にないことを示唆していると考えられ、非常に危惧される。本来、最優先すべき、研究・教育業務にしっかりとエフォートを割くことができる環境や体制をMSCとして整える必要があると痛感する。本来、山理解目標に留まらず、山管理目標、山活用目標とも相互に乗り入れて、有機的連携をさらに強固なものにして、山岳科学センター全体として、総合的に山岳の理解が深められるようなテーマ設定をし、MSC組織内での共同研究推進を進める必要があると、年次報告会のたびに議論されているが、現状では上述の通り、メンバーが多忙を極めており、その余裕もないというのが実情であろう。今後、工夫改善努力が必要であると思われる。
区分1 |
区分2 |
査読有 |
査読無 |
計 |
論文 |
学術雑誌 |
41 |
2 |
43 |
紀要等 |
0 |
2 |
2 |
|
解説その他 |
0 |
1 |
1 |
|
計 |
41 |
5 |
46 |
|
著書 |
|
13 |
||
学会発表 |
国際会議 |
|
14 |
|
|
国内会議 |
|
102 |
|
|
計 |
|
116 |
|
一般講演等 |
|
9 |
||
その他の活動 |
|
3 |
詳細はこちら:「8.MSC教員業績リスト」